個体に呼び名が有ろうと無かろうと、個体はそこに存在するし、時空を歪ませるのだ。
単なるネームプレートに拘っても本質(又は問題)はそこには無い。
ラベルは必ずしも中身を表現するものではないし、また、表現しきれるものでもない。単なる記号なのだ。
私で言えば、「女」とか「marcial1219」とか「アラフォ」とか「レズビアン」とか「日本人」とか、こういったもの全てが記号なのだ。それらから想起するのは記号のイメージだけ。記号が既に持ってしまった印象でしかなく、いくらそれを連ねても「=私」(イコール私)にはならないのだ。